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ATOMica Interview-vol.2【フリーランス保健師】柏田ひろみさん
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ATOMica Interview-vol.2【フリーランス保健師】柏田ひろみさん

柏田ひろみさん【フリーランス保健師】宮崎県出身。  「フリーランス保健師」と聞いたとき、どんなイメージが浮かびますか?きっと「…どんな仕事?」と思う方が大半だと思います。 自らが‟幸せの種まき”を実践し『セルフケアを特別なものでなく、スタンダードにしたい。』と活動を続ける柏田さん。いつも笑顔で、あたたかく優しい雰囲気が漂う柏田さんの魅力に迫ってみました。 きっかけは祖母。 --‟フリーランス保健師”とはどんなお仕事ですか?  保健師は「地域の看護師さん」のような役割で、各市町村や保健所、企業などで病気になる前のケアや検診、健康相談などを担当しています。学校でいうところの保健室の先生のような感じです。  私の場合、初めから保健師になりたいと思っていたわけではありません。最初は看護師になろうと思って、看護学校へ通いました。その大きなきっかけとなったのが、近所に住んでいた祖母の存在。私は祖母のことが大好きでした。祖母は身体が悪かったので、看護師の資格を取ったらなにか役に立てるんじゃないかと思ったんです。私の決めた進路について、祖母はすごく喜んでくれました。だけど看護学校に入って1年目、私が19歳の時に、祖母は自ら命を絶ったんです。とてもショックでした。  竹を割ったような性格の祖母だったので、きっと周りに迷惑をかけるのが嫌で、自分の死に方は自分で決めたかったんだと思います。あの決断は彼女にとっては正義だったのだと、今でこそ思えるようになりましたが、当時は「これからどうしよう…」と考え込んでしまいました。このまま看護師になることを想像したときに、それはなんかちがうなって。  そして、私が辿りついた答えが保健師という仕事でした。看護師として病院に勤め、病気になった人をケアするのではなく、地域に出て日常に近いところで、一人でも多くの方が、より健やかに生きて、笑って生活して死ねる、というお手伝いができたらと思ったんです。  保健師の資格を取るための学校へも通い、私は市町村で働く保健師になりました。看護師になろうと思ったのも、看護師ではなくて保健師になろうと思ったのも、きっかけは祖母だったんです。 (ワークショップ中、参加者のお子さんを抱っこする柏田さん)    祖母の死からの得たものは大きく、保健師になった私は日々モチベーション高く働いていました。若さに任せてがむしゃらに、毎日情熱を注いで仕事に取り組んでいたのです。でも、そんなある日、がんばりすぎた私は倒れてしまいました。 --え?!倒れたんですか?柏田さんが?  そうなんです(笑)仕事に没頭するあまり、自分のことはそっちのけにしていて。 --私の知っている今の柏田さんからは想像のできないお話です…  一生懸命周りの人をサポートするあまり、自分が身体を悪くしてしまうなんて、本末転倒だなと感じました。ケアする人が自分のことを大事にして、まずは自分自身のケアをしていなければ、他人をケアすることを続けられないし、質もあげることはできないってその時に気付いたんです。 (先日のフリーランス交流会では登壇して頂きました。)    自分を大事にして、自分が満ちて、それが溢れて、周りに伝わって自然に広がっていったら、ケアする人もされる人も、もっと良くなるんじゃないかと思いました。今でこそ、口グセのように「セルフケア」という言葉を使っていますが、意識をし始めたのはその頃ですね。  転勤で市町村を辞めた後、妊娠・出産を経験しました。出産や子育てを通して、お母さんたちのセルフケアもとても大事だと感じていて。子育てが少し落ち着いたら、それをテーマに活動をしたいと考えていたんです。だけど、セルフケアの仕事をしたいと思ったとき、どこを見渡してもそういう仕事はなかったんです。そして、なかったら作ればいいんだ!と、次女が二歳のときにフリーランス保健師の活動を始めました。 布ナプキンをきっかけに。 --フリーランスになって最初の仕事作りが大変だったかなと思うのですが、何から始められましたか?  私自身が布ナプキンを使ってとても癒されたことが大きくて、布ナプキンはセルフケアを伝えていくツールにとてもいいなって思っていたんです。ただ知識を与えるだけだったり、いきなり「セルフケアしましょう!」って言われても漠然としすぎていると思うんですね。でも、布ナプキンを使って、自分の体感を通して「こういうことか!」と気付いてもらった方が、伝わるのも早いんじゃないかと思いました。それで、自宅で布ナプキンを通したセルフケアのワークショップを始めたんです。 (布ナプキンの手縫いワークショップ)  はじめは、一回の開催で5人くらい。それをコツコツ続けていたんです。だんだん口コミで広がって、外でワークショップをする機会を頂いたり。数年後には企業や様々なグループなどでお話をするまでになりました。小学校には現在も「みやざき布ナプ母の会」のお母さん方と一緒に年に数回お邪魔していて、子どもたちに布ナプキンという選択肢があることや、自分を大切にすることの重要性を伝えさせてもらっています。  フリーランスになって10年くらいから依頼のお仕事の割合が増えてきました。色んな体験をさせて頂きとても学びが多い一方、自分のワークショップは週末や夜の時間を使って行っていて…本当に忙しい毎日でした。フリーランスを始めたばかりの頃とは真逆ですね。頂く仕事の量が多くなったときに「あれ、私なにがしたかったんだっけ?」となってしまって。働き方、そして自分の命の使い方をよくよく考え、依頼の仕事をリセットしたのが、2019年の春でした。  それからは、これまで自分がやってきたことを整理したり、本当に自分がやりたいことについて考えたり。水面下での作業を進めていました。自分がやりたいと思っていることをちゃんと形にする努力をしようと思ったんです。それが誰かの役に立つかどうかは作ってみないとわからなかったけど、中途半端になってることをちゃんとやらないと、急な事故で自分が死んだときに「やっておけばよかった」って後悔するのは嫌だなぁって思って。 ATOMicaのことは◯◯で知りました。 --ATOMicaへいらっしゃった最初のきっかけを教えてください。  ATOMicaの存在はラジオで聞いたんですよ。夕方のラジオでDJさんが、ATOMicaの代表の方に結構深く切り込んでインタビューをされていたんですね。それを聞いて、おもしろいなぁって思いました。でもそれからすぐにATOMicaへ行ったわけではなく、一か月くらいはバタバタと過ごしていました。 --まさかのラジオからのお客様がいらっしゃってびっくりしました!  そうだったんです、ラジオがきっかけ。そしてやっと時間が取れたときにワンタイム利用で使わせて頂きました。ラジオで聞いていただけでは伝わらなかった部分が、実際に来てみてクリアになりました。こんなところなんだぁって。…

ATOMica Interview-vol.1【株式会社グッドエレファント】代表取締役 村岡 雄史氏
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ATOMica Interview-vol.1【株式会社グッドエレファント】代表取締役 村岡 雄史氏

村岡 雄史氏【株式会社グッドエレファント 代表取締役】1982年生まれ。都城出身。プライベートでは5歳、3歳、1歳の3児の父。 グッドエレファントを立ち上げて4年。笑顔で、今が一番忙しいと語ってくれた村岡さん。現在に至るまでの経緯や、経営していく中で大切にしてること、本事務所を構えつつも、社員全員でATOMicaを利用してくださる理由など、たくさんのお話をお伺いすることができました。 良い映像、作ってます。  現在は動画広告をメインに制作しています。もちろんWEBの制作も行っていますが、時代の流れ的にも動画の依頼が多いです。  会社名の由来についてお話すると、会社を立ち上げることが決まった当時、息子が象が好きだったんです。それで「エレファント」を入れようかなと考えたのがきっかけ。エレファントに合う言葉を探していって落ち着いたのが「グッドエレファント」でした。この名前、意味わかりますか?『グッドエレファント→良い象→良い映像』っと、きちんと意味も持たせてあります(笑)  この会社は、もともと自分が勤めていた会社で、とあるきっかけで2015年に買い取らせて頂き、代表を務めることになりました。でも、その当時の経営状況は決して良いと言えるものではなく…実は、会社の通帳に2,000円しか残っていないことすらありました。しかも、次の日は社員の給料支払日!その時は早めに策を打っていたこともあり、なんとか乗り越えられましたが…。今だからこそ「すごいなぁ」と笑いながら振り返ることができますけど、そんな時期もあったんです。 強みは「前のめり!」 (イベント登壇する村岡さん)  ありがたいことに、今は多くのお仕事を頂く機会に恵まれています。会社の成長のため、新しいことに挑戦するために今年は採用もガンガン進めていて、年内には5人ほどメンバーが増える予定です。でも、ただ単に「人数を増やしたい」と思っているわけではなく“何ができるか”をベースに考えています。  自社の強みは『前のめり!』な姿勢ですね。社内でもそれを文化としてプッシュしています。「一年前と同じことをするな」と、ずっと言い聞かせていますし、みんなそれをしっかり理解してくれていて。毎年同じことをやり続けるのは、一切成長していない証。それに“安定”って特に我々の世界ではないものだと思っています。  今の時代って、絶対チャンスじゃないですか。上がる波に乗るだけでいい。でも、それを難しいと捉えるのか、チャンスと捉えるのかっていう視点が大事だと思うんです。人間には解釈グセがあるので、それを直す意味も込めて社員には研修を受けてもらっています。 マイナスの感情をモチベーションに変えて。 (現在、ローカルビジネス集客講座の講師を担当)  以前勤めていた会社で、チーム内で意見の食い違いが起きたんです。行き詰まっていた時、自分の考え方を変えてくれたのが会社が用意してくれた研修でした。研修の中で「自分を理解してもらいたい時は、まずは人を理解しよう」と言われたんです。この言葉がすごく刺さりました。確かに当時の僕は、周りに対して「お前ら理解しろ!」くらいに思っていたなと、その研修を受けて気づいたんです。思考が変わったことで仕事のやり方も変わり、結果的に当時の仕事も順調に進むようになりました。その体験があったので、将来自分の会社を持った時にも社員には研修を受けさせたいとずっと思っていていました。そして今年からやっとその思いを実現。研修にもかなり力を入れられるようになりました。  社員だけではなく僕自身も様々な勉強会に参加していて、新しいことを学ぶたびに自身の成長を感じています。そして、県外に出張した際は空いた時間で映画館に行くことも多いです。都会の映画館は規模が大きく迫力があるので新しい気づきを得られます。あとは音楽ライブの予定に合わせて出張スケジュールを組むこともあります。最近のライブってかなりハイレベルな映像技術が使われているんですよ。すごくいいものを見たときは、猛烈に嫉妬します。「なんで自分にはこれができないんだ!」って。とてもいい刺激になって、もっとがんばろうという気持ちが湧き上がってきます。 もっと自由に働けるために。 (グッドエレファントの社員)  働き方を変えたい、ということはずっと前から考えていました。僕らの仕事って会社に来るかどうかは実際のところ関係なくて、パソコンとネット環境があれば問題なく業務をこなせてしまうんです。確かに、社員間のコミュニケーションは取らないといけないけど、同じ場所にいなくてもそれができたら、通勤の時間は減るし、例えば台風の時に来ないといけないリスクだって減らせる。何より働き方が楽になると、生活も楽になる。自分を含め、みんなの使える時間が増えます。  それに、どこで仕事をしていても会社として1つの仕事ができるようにならないと、今の時代強い会社にはなれないとも思っています。スタッフが増えれば、オフィスのスペースや机・椅子も確保しないといけない。でもオフィスの拡張にお金を使うのはもったいない、そもそも必要なのかな?って。そんなことより、もっと有益なことに資金を使いたかった。  そんな時にちょうどATOMicaができました。今日も、社員全員で利用させてもらいましたが、まずはATOMicaで「会社以外でも、きちんと仕事をする」ことに慣れてもらいたいと思っています。そして、会社以外でも仕事ができるようになってきたら、来年以降は今のオフィスも使えて、ATOMicaも使えて、自分の家でやってもいいよっていう状況にしていきたいです。その流れが上手く完成したら、将来、例えば「グッドエレファントでも働きたいけど東京にも行きたいみたい!」というスタッフが出てきたとしても、柔軟に対応できます。土地で縛られない働き方もできるようになればいいなって。もうね、やっぱり自由になりたくて!(笑)いろんな制限が勝手にかかってくることに対して、どうして?と、いつも思っています。  今後の流れとしては、秋口ぐらいから「月に3回ATOMicaで仕事して来なさい」から、 年内に人も増えてくる予定なので「来年からはATOMicaの個室を一つ借りて」プロジェクトごとに活動場所を分けるのもいいのかなって思っています。それが今描いてる近い未来の構想です。  今後も、グッドエレファントは様々なことにチャレンジしながら成長し続ける会社でありたいです。VR/AR映画館みたいなものもやりたいし、海外進出も視野に入れています。年齢を重ねて、振り返った時に「いい人生だったなぁ」と思えるように、これからも前のめりに突っ走って行こうと思います。 いつも優しい笑顔の村岡さん。人への接し方が柔らかく、また様々な知識もお持ちで、お会いするたびに多くのことを学ばせて頂いてます。インタビュー中も終始楽しくお話してくださる姿が印象的で、たくさんのエピソードをお伺いすることができました。村岡さん、これからもどんどん新しいことに挑戦していってください!さらなるご活躍を、ATOMicaスタッフ一同楽しみにしております。 インタビュー・文 ATOMica 黒木佑貴乃